新規事業の立ち上げに挑戦し失敗してから1年と少しが経ちました

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新規事業の立ち上げに挑戦し失敗してから1年と少しが経ちました

ベトナムの地で数年前から温め進めていた新規事業の撤退を決め、報告し、残務処理をし、チームが解散して採用からはじめたチームメンバーの異動先を決める。ということはそれはそれはなかなか辛いものがありました。メンバーにも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。その後ベトナムから日本へ帰国して会う人みなから必ず聞かれていたのが「何でベトナムに行ってたんだっけ?」「これからずっと日本なの?」ということでした。

なぜベトナムへ渡ったのかと問われれば新規事業を立ち上げたかったからであり、なぜ日本に帰ってきたのかと問われれば失敗したからでした。今思い出してもキツイものがありますが、その当時は撤退を決めた時よりも毎日そのような会話をしていた帰国後の方が辛かったなぁと。

当時は夜眠れなくなり、人生初の円形脱毛症になり、鈍感力は強い方だと思っていたのですが、目に見える特徴として現れたことにもショックを受けたものでした。なぜ失敗したのか?というよりも、本来は成功確率の方が低いかもしれませんが、自分のケースとして何がアカンやったのかと思い返し、これだけではないかと思いますが、その要因について取りまとめたいと思った次第です。

フォーカスが足りない

先日、とある大企業のとあるプロダクトの新機能お披露目会の様子をTwitterでみかけて、それがこのブログを書こうと思ったきっかけでもありました。そのとあるプロダクトで発表されていた新機能はまさに自分が作りたいと思っていたプロダクトのMVP(必要最低限の機能)に組み込まれていたものでした。

当時考えいたプロダクトはマーケットからするとやや遅いスタートだったので、複雑な業務フローを柔軟に解決でき、それによる使い勝手向上という意味での機能追加、その結果によるUX向上を目指してしまったがために、必要最低限の機能の捉え方が非常に大きなものになってしまっていました。

また、「こうすれば使ってくれる人が喜んでくれるんじゃないか」というように「思いついてしまったこと」を実現したくなる気持ちが強くなりすぎ、いろんなものを盛り込んでしまった気がします。複雑になるほどメンバー間の意思疎通は難しくなり同じ方向を向いて動くことも難しくなっていたと思います。

もっと低いレイヤーではソフトぅエア開発においてWEB版、iOS版、Android版という異なる技術が必要なものを同時並行で進めていて、もちろんそれぞれエンジニアを採用する必要が出てきますし、仕様変更による影響範囲もとても大きなものになってしまっていたということもありました。

検証・顧客理解が足りない

前述からの続きになりますが、自由度の高さや柔軟性というのは、何かを規定することが大前提であるソフトウェア開発において相反することであり、それによる機能の増大・工数増大を招いていました。

しかし自分たちが取ろうとした問題解決の方法ははたして本当に正しかったのか、もしかすると違う解決策があったのかもしれない。柔軟性ということをもっと違うもっとシンプルな解決策で示せたのかもしれません。

自分たちで考えた仮説を持ち、思い描いている解決策、思い描いているプロダクトが、本当にそれを使ってくれる人のためになるのかをもっと顧客にしっかり密着して、ユースケースを出し尽くし、顧客のニーズを最大限に理解していれば、必要最低限のことに絞ることが出来たかもしれません。

また、競合他社のプロダクトを見てそれを超えるものを作らなければならないという思いに駆られてしまっていたようにも思います。もっとこんな機能が合ったほうがいいんじゃないか、というベター論は使われない機能を生み出すだけであり、顧客が求めるものとはかけ離れてしまっていたと思います。

前述と合わせて、顧客理解に基づくベストだけにフォーカスしたプロダウト設計が足りなかったように思います。

段取りの間違い

最初にまずアイデアを思いつきました。その後にビジネスプランに落とした段階で、当時はメンバーもいなかったのとタイミング良く集められるとも限らないのですぐに採用を開始してしまいました。さらにデザイナーとエンジニアを同時に採用開始してしまい、バラバラとジョインしてくるので仕事の段取りが上手くいかないということもありました。

そのおかげでタイミングよく非常に優秀なエンジニアが、しかもカザフスタンからベトナムに移住してジョンしてくれた。という幸運もありましたが結果論なのでなんとも言えません。

基本中の基本かもしれませんが、やはりある程度設計した段階でデザイナーなりエンジニアなりを最小人数(多くとも3名くらい)で、顧客と向き合いひたすら検証するというプロセスを一緒に乗り越えていくべきだったなと思います。

人が増えていくと、何か仕事を渡す必要も出てきます。それが無理やりタスクを生み出すことにも繋がっていたようにも思います。だからこそ、よく言われることかもしれませんが、最初の3人というのが何よりも大切だし、その3人で一緒にプロセスを踏み、プロジェクトを前に進めることが大切だったなと思います。

壁打ちが足りない

事業アイデアであろうと、ビジネスプランであろうと、法律問題の解決であろうと、顧客と会話した内容だろうと、チームビルディングのことであろうと、何かを立ち上げようとしたらやること考えることがいっぱいあります。それらを自分一人で考え進めてしまったことも反省すべき点でした。

東京にいた頃は日常的に誰かと会話して考えていることをひたすら「壁打ちする」ということをしていたのに、ベトナムに渡ってからはほとんどやっていませんでした。東京は付き合いの長い先輩友人が多かったからなのか、外国に住んでいるという環境から変化してしまったのか、立ち上げたい事業にのめり込みすぎてしまったからなのか、大幅に減ってしまっていました。

知らないことは知りようが無いと思うのですが、それを人との会話(壁打ち)の中で解消出来ていたかもしれません。これが無いためにプロダクト、ビジネスプラン、開発手法、チームビルディングなどいろんなレイヤーでもしかしたら間違ってしまったり、いろんなことが非効率になってしまっていました。

英語力不足

そもそも論かもしれませんが、私は日本人でベトナムでチームを立ち上げ、日本人・ベトナム人・カザフスタン人・ロシア人がいる多国籍チームでしたが、私が英語を話せずに全て通訳を介して開発を進めていました。

それでも仕事を進めることは出来るのですが、新規事業や新しいプロダクトを生み出すという時に、仕事以外の価値観なんかも含めて分かり合った上で同じベクトルを向くのに語学はやはり重要でした。

3時のおやつを一緒に食べようと誘ってくれるベトナム人、Vietnamese beer is like a water. というカザフスタン人。言葉が分からず通訳を介してでも多様な価値観に触れることができ、刺激をもらうことが出来たのだから、言葉が分かればもっと多くのことが言葉に出来ないレベルで得られたんじゃないかと、思い返して思います。
 
 
もっともっと多くのことが考えられそうですが、一旦これくらいにしたいと思います。このブログは後から継ぎ足しするかもしれません。

総じて、新規に事業を立ち上げる、プロダクトを立ち上げるということはなかなか経験することが難しく、それをやったことないうちは根拠の無い自信に満ちていて、あまりにも無知で未熟であったなと振り返ります。

日本に帰国した直後に起業家の友人から「次は何すんの?またなんか事業やればいいじゃん」って言われて、恥ずかしながらその言葉の意味が初めてわかったのでした。いまのところ、何かをはじめるつもりはありませんが、この経験はなんらか活かしていけるし、活かしていかなければならないと思います。



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Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら [email protected]

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