自分にとっての「日常」は、誰かにとっての「非日常」なのかもしれない。

日々 映画

自分にとっての「日常」は、誰かにとっての「非日常」なのかもしれない。

ちょっと前に「Life in a day – 地球上のある1日の物語」を観た。世界中の人々が2010 年 7 月 24 日に過ごした一日をそれぞれ撮影し、YouTube に動画を投稿。投稿された 8 万本の動画は、4,500 時間を超え、ケヴィン・マクドナルド監督とその編集チームによって編集されたものだ。

先日発表されていたが、地球上には70億人の人間が暮らしているらしい。70億人分の1日=24時間を足し上げると、なんと1,680億時間にもなる。この膨大な「時」から考えると、4,500時間というのは、まだまだ少ないのかもしれない。

しかしこの4,500時間から編集されて出来た90分のムービーは大変貴重なものに思えた。

ベッドの中から連発される「グッモーニン」に始まり、髭を剃る若者、やけに片付いていない部屋を歩き回る男が妻に線香をあげている。たくさんのパンたちがチンと音を上げて焼き上がる。たくさんの「朝」がそこにはあった。荒野で火を焚いて作る朝ご飯、ヤギの乳搾り、普段私たちがテレビでしか見ないような「朝」もそこにはたくさんあった。

昼。ハンバーガーをもぐもぐとほうばりながらテコテコ歩く中年の男。歌を歌いながら小麦を叩く女たち、水牛を使って農作業する男たち。生まれてくる子豚、食用牛の頭を銃で打ち抜き首を切り落とす様、若い女の人が拳銃を手に取ってなにやら話している。ひざまずいて結婚指輪を差し出す男。書き出したらきりがないのでこのあたりでやめておく。

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自分にとって、違う世界に生きる人々の暮らしを見るのはとても興味深く楽しいものだった。これは編集されているものを観ているからなのかもしれないし、もしかすると編集されていなくても楽しいものかもしれない。

全く知らない、誰かの日常だ。言葉だってさっぱり分からない。はて、とても興味深いと感じたのはなんでだろう。自分にとっての繰り返す日々とは異なる、誰かの繰り返している日々は、すなわち、自分にとっての非日常だ。人は、自分とは異なる何かに興味を持つのだろう。

似たような事を繰り返す人々の集合体が、すなわち「国」なのかもしれないし、「文化」なのかもしれないが、そういった似た世界とは非なる世界が、この地球上には無数にあるという事をまざまざと見せつけてくれるのが本作だった。

自分にとっての「日常」は、誰かにとっての「非日常」なのかもしれない。そしてそれは、大変興味深いものになる可能性を秘めている。

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動いている画(動画)だから伝わる事もたくさんあるだろう。泣き声や叫び、息づかいや生活音もある。生々しい。そうか、生々しいのかもしれない。こういった「生々しさ」をあるテーマを持って集めてみると、すごく興味深いものができがるかもしれない。

例えば、国別/地域別に集めてランダムに見せるのもいいだろう。「朝」「昼」「夜」という情報を動画に持たせて、同じ日でもいいし全く異なる日でもいいのだけれど、たくさんの「日常」を60分くらいに自動編集して「ある1日」を作り上げるサービスがあっても面白そうだ。

日常と、非日常の世界の物語。他にもたくさん応用できそうなテーマなので、年末年始にでも考えてみるのはいかがだろうか。



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Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら [email protected]

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