ソーシャルメディアがマーケティングを変えるわけではない。

熟考

ソーシャルメディアがマーケティングを変えるわけではない。

いい機会というか、いいお題がありましたので久しぶりにブログ書いてみます。

ソーシャルメディアがマーケティングを変えるわけではないし、ソーシャルメディアがコミュニケーションを変えるわけでもない。もちろん、ソーシャルメディアが何かをもたらすわけでもない。

いづれも「ソーシャルメディア」が主語になっていますが、「ソーシャルメディア」はあくまでも情報伝達手段ですので「主語」にならない、という気がしております。その「情報伝達手段」を「活用している」のは「」なのか、「なぜ」なのか。この「背景」に、何やらヒントがありそうな気がしております。

では、何が「マーケティング」を変えるのか。その過程で考えられる事は何か。ちょっと“違った”角度からアプローチしてみたいと思います。

考察 1 : マズローの5大欲求から考えてみる。

先日、いつも興味深く読ませて頂いているこのメルマガで紹介されていた内容を引き合いに出して考えてみます。

【マズローの5大欲求】

1.生理的欲求(physiological need)
2.安全の欲求(safety need)
3.所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
4.承認の欲求(esteem)
5.自己実現の欲求(self actualization)

この3番目、「所属の欲求」について触れられていて、その内容をシンプルにまとめてみると、

明治維新後、日清戦争、日ロ戦争、第1次世界大戦を連勝し、「世界5大国」の一国となっていた。しかも、国際連盟の「常任理事国」だった。疑う必要も無く、所属の欲求は「日本という国」によって満たされていた。しかし、ご存知の通り第二次世界大戦で敗北し、日本人の所属の欲求は満たされなくなった。その代わりに出てきたのが「高度経済成長」と「バブル経済」に支えられた「企業」だったのです。つまり、バブルが崩壊するまでに所属の欲求を満たしていたのは「企業」だった。そして現在、忠誠を誓っていたはずの企業はリストラの嵐、不景気で給料は下がり続けている。さらに政治は混乱し政治家も信用出来ない・・・。

このメルマガでは、橋下大阪府知事など地方志士たちの出現。という締めくくり方になっていますが、私は少し違う考察をしてみます。

国も企業も信用出来ない。。となれば、所属の欲求を満たすのは何なのか(誰なのか)。国に何かをしてもらう、企業に何かをしてもらう。そういった考え方が壊れた時、もうどこか遠くで起きている出来事に左右されるのではなく、「人」はより身近な「人」との繋がりを、より大切にしていくんじゃないか。家族も友達も、先輩や後輩も、自分の今近くにいる人たちとの時間や関係をより大切に。

以前、アニメ「サマーウォーズ」を観て、細田監督の講義を聞きに行った時に、「自分事化される世界が繋がりを生む」という記事を書いたのですが、これと全く同じ考え方があてはまります。

上記に記載しているような、【良く分からない「何か」が、自分の事であると、気づいていく。】という状態から【世界の良く分からない「大変な事」が、自分事化され、繋がりが生まれる。】ことを経て、【自分事化される世界が繋がりを生む。それこそが、ボクらの武器。】と気づいていく。

まとめると、自分事化される世界。それが繋がりを生み、ボクらの武器となる。という事が、意識/無意識関係なく浸透していっているんだと考えています。

これって、人と人との繋がり「コミュニティ」の復活、一昔前で言うところの「村社会」を、現代風にアレンジ加えて形成しているようなことのようにも思えます。

(少し話しはずれますが、だから私は Livlis のようなサービスに大きな可能性を感じています。どっぷり浸かりたいです。余談ですが、こういった思考回路からLivlisについて考えた時、川崎さんに「Livlisに預ける」という概念についてお話しさせて頂きました。)

考察 2 : デフレ経済から考えてみる。

世界は今、8月にアメリカがデフォルト(債務不履行)になるのか否か、という話題でもちきりです。もしくは、ギリシアかイタリア(=EU)か。

日本経済について少し振り返ってみます。戦後、賃金が安かった日本は「安かろう悪かろう」で「世界の工場」として高度経済成長してきた日本、その後、円の切り上げと共にバブルがはじまり、「安くて質が高い」Made in Japanは世界で大人気になりました。「ジャパン アズ ナンバーワン」とまで言われた時代もありました。

今は「中国」が世界の工場です。しかしそれも束の間、既に「ベトナム」(既にシューズメーカーのNIKEはベトナムへ工場のシフトを終えているみたいですね)や「アフリカ」へのシフトが始まっています。(そういえば、1年前くらいか、NHKで「アフリカンドリーム」という特番やってました)

グローバル化が進み、「世界が狭くなった」結果、このように「シフト」する為の時間が短縮されています。日本は「デフレ」状態が続いていますが、これがいつまで続くか?もっと議論が必要な議題だとは思いますが、乱暴に書いてみますと「世界がフラットになるまで」デフレであり続ける、という事も考えられます。

デフレ経済が続き、給料が減り続けるとしたら、「人々はどのようにするのか?」というのがこの考察のポイントでございます。より「お得な」事は何か、より「効率的に」という風に考えていくのではないでしょうか。

少し走り書きしました。このような「背景」から考えてみた時、例えば「バブル」の時に「価格.com」があったとして、流行っていたでしょうか?高度経済成長期に「ソーシャルメディア」があったとして流行っていたでしょうか?ソーシャルメディア、いや、インターネットとは、「ただの通信手段」に過ぎません。それを活用するのは「」ですね。

(トリガー増える→変化増える→ギャップ増える→チャンス or リスク増える。日本の今後3年間については、今年の新年早々の「朝生」を見ながら書いたこの記事に書いてますので宜しければ。)

(先日、リーマンショック後を描いた映画「ウォール・ストリート」を見ました。「何か大きな変化が起こっても、誰かが取って変わるだけ」。アメリカがデフォルトになるか否かの今、改めて興味深い映画になっていました。)

二つの視点から考察を続けてきました。ここでタイトルの「ソーシャルメディアがマーケティングを変えるわけではない。」に戻ると、もう答えは見えているかもしれませんが、マーケティングが変わるのは「人」が変わるから。これを大きなくくりで言い直すと「時代」が変わっているから、必然的に「マーケティング」も変わっている。

微妙なニュアンスで、かつ、一番難しいポイントなのですが、「ソーシャルメディア」がいろんなものと混同して語られるのには訳があると思っています。

これまで重ねて来た「考察」を元にすると、この一言に集約されると思います。「人(個人)」にフォーカスが当たる時代がやってきた。俯瞰してみると、「多様化する世界」とも言うかもしれません。この大きなくくりでの「時代の変化」という「背景」もありつつ、

目の前では、まだ日本では人口比2割〜3割とはいえ「ソーシャルメディア」(Facebookは世界で7.5億人が使っていたり)に「人」が集まっています。

「時代背景」という大きなくくり無しに、「広義でのマーケティング(プロモーションだけでなく製品開発なども含む)」と、「利用者が爆発的に増えているソーシャルメディア」を同じ文脈で語ってしまっている事もあるでしょう。

「マーケティングが変わっている」のも、「ソーシャルメディアが普及する」のも、結果論であって、その「要因」は別なところ「時代背景」にある。

さらに、「ソーシャルメディア」というのは、「メディア」と言っても、「人」そのものである。がゆえに、「時代背景」を受けて変化している「人」の行動(マーケティングの変化)と「ソーシャルメディア」が紐つけられてしまう、という事もあるでしょう。

「ソーシャルメディア」上では、やろうと思えば「人(人々)とダイレクトに会話」も出来るし、「人(人々)の会話に耳を傾ける」事も出来ます。それも、何千、何万という単位で。

つまりは、ソーシャルメディアに寄り添う事を本気で考えるという事は、「時代背景」によって変化している「人」と、「ダイレクト」に向き合うという事になり、「企業姿勢や発想の始点」を「時代背景」も踏まえた「人」を基軸としたものに総入れ替えしなければならない。

ソーシャルメディアがマーケティングを変える事はないけれど、「ソーシャルメディア=人」と本気で寄り添う(向き合う)という事は、これまでのマーケティングの在り方を変えなければならないのかもしれない。そう考えると、この事は「最上位概念」になるとも言えるかもしれません。(最上位概念、という事についてはこの記事に書いてますのでご参考まで)

フラット化する世界。

ここまできてなんと、「3700文字」。そろそろまとめに入りたいと思います。

私は今後起こりうる大切な変化のキーは、考察 1 に記載しましたが「コミュニティ」の存在だと考えています。経済であろうと、文化の交流だろうと、交通手段やIT技術の発達によってますます狭くなって行く世界(地球)。

これは少し懐かしいかもしれませんが、「フラット化する世界」という事なんだと。考察 1 でも考察 2 でも、全く違った視点での考察 3 でも良いのですが、いろんな切り口・視点で「世界がフラット化」する時代。フラットになればなるほど、「人」にスポットライトが当たる。その時にキーとなるのが「繋がり」を元に強力なパワーを発揮する「コミュニティ」の存在ではないでしょうか。



この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で
Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら [email protected]

コメントを残す