朝生

日々

朝生

元旦に放映されてた「朝まで生テレビ」をなんだかんだ朝まで観てました。観ている最中は、議論の中身も、Twitter連動についても、いわゆる新旧対決的なことについても、最初の2時間くらいは特におもろくもなんともなく、途中から後半の方は場の空気にも慣れてきたのか少し面白くなったものの、なんだよー、って感じで観てました。

ところが、時間が経ってみてふと思い出してみると、なかなかチャレンジした企画だったんじゃないかって思うようになってきた。「Twitter連動って言いながら、全く連動していないじゃないか。」という意見は確かにそうだ。だけど、テレビ局がTwitterと連動してどうにかできないか、できる事も、できない事も含めて、チャレンジした番組だったんだろうと思う。

・ これからの数年は行き交うおもろい時代。

Webを生業として飯を食っている私たちは、Twitterを知っていて当たり前で、それを活かす事が出来て当たり前だ。しかし、メディアの変化(変革)の話しは別として、テレビ局は別にTwitter(もっと言えばWeb)を生業として飯を食ってきたわけではない。つまり、使えなくて(使わなくて)当たり前だった、使う必要も無かったし、もしかするとこれからも必要無いかもしれない。

逆に、Webを生業として飯を食っている私たちが、テレビ局で放送するようなドラマを制作する事は困難に近い。それぞれ、違う餅屋なんだ。そうか、そういえば昨年のad:tech Tokyoのキーノートで、フジテレビの人がこんな事を言っていた。

テレビ局がソーシャルゲーム作ってもヒットしない、広告会社が映画撮ってもヒットしない。まだ、餅は餅屋でやっている段階。これからの数年は行き交うおもろい時代。

「これからの数年は行き交うおもろい時代。」そう捉えると、このぎこちなさも含めて、良い試みだったんじゃないかと思う。慣れないうちは“ぎこちなさ”が生まれるけど、リテラシーも、背景も、知識も全く違う人々が交わるだけに、相手の土俵で会話する事を心がけつつ、それが無くなった時、水が流れるように行き交う時代へと移っていく。そう考えると、なかなか面白い番組だったんじゃないかって。

(あ、私はWebを生業として飯を食ってる方の人間ですが、相互理解を深める意味も含めて、世界のおもろいCMを集めていく「CM図書館」というブログを運営してるんでした。)

・ 日本「萎縮(重苦しい閉塞感)」。

さて、ここまで書いておいて肝心の朝生の議題「萎縮(重苦しい閉塞感)」についても書いてみたいと思います。

私の考えるところは非常にシンプルです。萎縮、もしくは、重苦しい閉塞感なんて、いつまでも続けられるもんじゃない。失われた20年を経て、あと3年以内に変化(変革)し、その後10年かけて定着していく。というもの。(しかし、戦後、高度経済成長期のようなものではない)

番組内ではいろんな事が議論されていましたが、番組内で言っていた事のひとつで、「(行き過ぎる)自主規制が萎縮を招いている。」という意見がありました。これを聞いて確かにと思いました。

国が、経済が、組織が、○○が、成熟するにつれて自主規制(思考)は強まる。成熟に伴う自主規制の強化は、成長に伴う自主規制も強める。よって、萎縮、もしくは、重苦しい閉塞感が生まれるんじゃないかと。(自己解釈)

萎縮が進めば進むほど、閉塞感が広がれば広がるほどに、価値観は多様化してくるんじゃないだろうか。迷路に迷い込んだ時に、それぞれの“出口”を探し求めていくように。

ユーザー構造から見る日本での共有ビジネスの可能性 – 風観羽 via kwout

※「島宇宙」化みたいな話しはいろんなところで耳にしているかもしれないですが、風観羽さんのブログからイメージ図をお借り致しました。

じっくりと、ぎゅーっと萎縮してきた結果、はじけて「バラバラ=多種多様な価値観」が生まれている(ように見える)。萎縮と一言で言ってみても、いろんな萎縮があって、例えば人口減少もそうかもしれないし、経済もそう。また、別に萎縮に限らず、膨張したとしても、これは同じく「変化(変革)」を意味している。

萎縮のはじまりを「バブルの崩壊(経済)」をトリガーにしたものだと捉えると、それまでの右肩上がりから、水平線、もしかすると、これから右肩下がりになるかもしれない、という時代。まさに、重苦しい閉塞感が漂う。

それからずっと迷路に迷い込んで、だんだん苦しくなる、という経験を経て、2008年のリーマンショックで経済的にも、精神的にも日本人に大きな影響が与えられた。翌年2009年には衆議院議員選挙で民主党が勝ち、政権交代が実現するも何の成果も上がらない。さらに翌年2010年には中国の尖閣問題が浮上(これはアメリカの没落のはじまりの影響が大きいと思うけど)。外部からの刺激→内部からの破壊→さらに外部からの刺激と続いている。

つまり萎縮は、自己破壊で殻を打ち破る事を求め、外部からの刺激を招く(もしくは、結果的にそうなっている)。こう何年も続けて具体的な出来事が起こってくると、考え方もどんどん変わってくるはず。政治だけじゃなく、経済だけでもなく、いたるところにトリガーが落ちている時代。それがこれからの3年だと思う。(そういえば、2010年の大河ドラマに龍馬伝を持ってきたNHKはすごいと思った。)

(もっと詳しく書いていく事つもりでしたが、もうここまででずいぶんと長くなってしまったので、締めに入りたいと思います。)

・ 「変化(変革)」は、たくさんの「ギャップ」を生み出す。

例えば経済の萎縮によって、所得が減っていくと、消費を抑制するようになる。分かりやすそうな例でいくと、その「変化」に順応した「ユニクロ」は、(適当にシンプルに書くと)「より安く、より高品質で、(より利益率を上げるように)」展開する事で爆発的に売上を伸ばしてきた。

経済の萎縮という変化から→消費が抑制され→ニーズが変化し→ユニクロが順応した為→売上を伸ばす事が出来た。みたいな順番だとすると、変化は供給者と需要者との「ギャップ」を生み出し、その「ギャップ」をユニクロが埋めたから成長した。と言えるかもしれない。

・ 時代が変わる。

「変化」はいたるところに「ギャップ」を生み出す。この「ギャップ」こそがチャンスであり、前述したようなこれから増えていく(であろう)多くの「トリガー」によってたくさんの「変化」が生まれ、たくさんの「ギャップ」も生まれる。

この「ギャップ」を見つけ、そこに向かって「リサイズ(大きくも小さくも)」や「リモデル(新しくも古くも)」出来る人間、企業、組織がどんどん現れる時代それが現代社会、これからの3年だろうと予測しています。時代の変化(変革)から、その新しい哲学やルールが定着していくのがその後の10年。これは、高度経済成長ではなく、萎縮していく中での順応の話し

無論、生き方も、働き方も、その考え方も(徐々に)大きく変わっていく。その、構造の変革についてはまた後日・・・。

※追記 まとめ

トリガー増える→変化増える→ギャップ増える→チャンス増える。というサイクルが生まれやすい環境にある。右肩に上がるのではないけど、リサイズされたり、リモデルされたりして、構造の変革が起き、“気が付いたら”大きく変わっている、そんな時代の節目。「時代を変える」なんて書くと大げさかもしれないけれど、「積極的に時代が向かう方を向く」事で「時代が変わる」事を体験できるかもしれない、貴重な瞬間。



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Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら [email protected]

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