共有からくる逆回転現象

日々

共有からくる逆回転現象

改めて感じる機会があったので、「共有」について書いてみたいと思います。

土曜日は会社の先輩の結婚式でした。チャペルで新婦がお父さんと腕を組んでヴァージンロードを歩き、途中からお父さんの手を離れて一人で歩き、新郎の元まで行ってお父さんの方に振り返った瞬間、うるってなってるのを見てちょと感動。超美男美女の素敵な結婚式でした☆

会社の先輩なので、Web広告に携わっている人がたくさんいました。結婚式なので、みんな写真をめっちゃ撮るのですが、写真を撮りながらふと気づいたのが、「みんな写真を撮ってるけど、たぶん写真を撮ったらTwitterにUpするんだろうな」って事。Twitterやってる人たくさん来ていたから。

みんな写真を撮る。そして、TwitterなりWebでUpする(だろうと思われる)。すると、Twitterのアカウントを知っているので、その撮った写真は自分も見れるし保存できるわけだ。その時点で、人が撮った写真が、適当な言い方をすると「自分のものになる(できる)」。ジャイアンじゃないけど、人のものはおれのもの的で、これっておもろい感覚だなぁーって。

極論、自分で撮らなくても誰かが撮ってくれるので、自分で撮らなくてもいい。そんな感覚も同時に感じながら、逆に、自分の視点と他人の視点は違うのでそれはそれでおもしろいという気持ちもある。同じ時間、同じ場所で得た「経験」が、違う視点から様々なマテリアルを通じて自然に「共有」されている。

デジカメが普及して、手軽に大量に写真を撮って保存できるようになってから、みんな写真をめっちゃ撮るようになった気がするけど、なんだか写真を撮る事自体が目的になってしまっているように思える時も。その時、その場を楽しみつつも、ひたすら写真撮っている、みたいな状況が、ケータイとカメラが一緒になることでさらに促進されていたようにも思う。

それが、Twitterなどのソーシャルメディアでの関係が広がるにつれて、得る「経験」を、人のものはおれのもの的感覚も感じつつ、「共有」が促進される事で(写真をやたらと撮るみたいな事が)逆回転し始めるのか、と考えてみるとおもしろい。自分で生成するマテリアルと、他人が生成するマテリアルの両方を得る事ができる中で、人はどのようなバランス感覚を養っていくのか、また、どんな役割を得るようになっていくのか、興味深い。

これからもまた自分の経験も踏まえつつ考えていきますよ。というあたりで思考を止めて締めになりますが、須崎さん、ご結婚おめでとうございます☆



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Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら [email protected]

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