組織の仕組み化に対する違和感

日々

組織の仕組み化に対する違和感

経営や、マネジメントを語る言葉として、よく「仕組み化する」という事を耳にしますが、その言葉を使用する際のニュアンスに、違和感を覚えることがあります。
「仕組み化」を「ベルトコンベアー」のような”流れ”をつくりだす。そんなニュアンスで捉えたり、いつの間にかそうなってしまっているような状態が多くある気がします。
・ 仕組み化≠ベルトコンベアー
決められたことを”機械的”にこなしていく。いわば、工場で動くロボットのように、同じ機械が、同じ動きをしている。そんな仕組みを輪切りにしたら、きっと金太郎飴のようにどこを切っても”同じ顔”が出てくるんだろう
それを「仕組み化した」状態と捉えてしまったら、もうあとは転げ落ちるしかない。一番危険な状態は、「それがベストだと思って、情熱を持ち邁進してしまう」こと。ブレーキが効かなくなる。
そんなことを考えるきっかけになったのはアドマンさんの「ブックオフのマネジメント」をちょっと前に読んだからでした。特にこの部分。

彼らが自分達のやり方に妙な自信を持って、自滅してしまわないかということだ。自分達の行動に酔いしれて、陶酔しきっている様は端で見ていて気持ちのよいものではないし、そんな集団に未来はない。もし彼らが、この業界から撤退するようなことがあっても、商品価値を徹底的に理解しない(関知しない)方式で伸びたこの業態は、どこかの誰かに引き継がれ、我々はそちらを利用するようになるだろう。

そこで大切なことの一つは、常に、“比較対象を外の世界に置く”ということではないでしょうか。“内側”ではなく、必ず”外側”に。
今、やっていること、今、仕組まれていることは、“外の世界”と比べても、秀でているのか、足りない点があるのであれば、それは何なのか。
“外の世界”はいろんなところにカケラが落ちているもの。お客様を通じて気づく事もあると思うし、ネット上にもいたるところにいろんな”外の世界”が落ちている。
もしも、”内側”だけで比較し続けてしまったなら、”変化”に気づく事もないでしょう。しかし、”外側”との比較をし続けられれば、必ず何かの”変化”を感じられると思う。(もちろん、自戒も込めて)

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Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら [email protected]

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