全て標準化時代

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全て標準化時代

                                    <p>▼ノウハウがコモディティ化した時に僕らはどう生き抜いていくのか?より<br /><br />

簡単にノウハウが入ってしまうが故、その業務自体を簡単なこと、と思いがちだが、そこには大きな溝がある、というのははずしてはならないポイントだ。

本当に、その通りだと思います。私のような、ネットや書籍のみでいろんな情報を仕入れて、それを自分なりに考えてみて、実践したとて、ほんとにたかがしれてる。

もちろん、福岡で、ネット広告業界という世界で、難しい部分も多いですが、それでも、福岡初!や、広告代理店として、お金になるところも、ならないところも、とにかく今までと違うであろう事を自分なりに模索しながら突き進んではいますが、といっても、たかがしれています。

ゆえに、各種セミナーであったり、例えば、BIG SHADOWのようなキャンペーンの情報をキャッチしたらすぐさま飛んで行きたいと思いますし、とにかく、蚊帳の外からでも肌で感じたいと強く思うのです。

もっと自分の感性・感覚・実感値・そして、経験値を磨きたいと思うのです。

他にも、もっとアートを見てみたいとか、建築物を見てみたいとか、とにかく、良さげなものをひたすら見続けたい。それには、やはり東京が手っ取り早い。

と、ここで表題の「全て標準化時代」に戻りますが、

ネットによるノウハウのコモディティ化

も、もちろん多分にあると思うのですが、それよりも前に、ごく身近な生活の中でも、ノウハウのコモディティ化は進んでいたと思うのです。

衣食住、仕事、海外の事しかり、あまりにもなんでもありふれている世の中で、本当に良いと思えるものを見つける力をつけるという事。いかに公開していこうとも、自分の中に残っていくものだと思います。(同じような喫茶店って増えてませんか?同じような商品って限りなくありませんか?といった点など)

例えば、戦後しばらくしたくらいだと、アメリカという国にみな憧れていた。そして、アメリカへ渡った人がアメリカンスタイルを日本に持ち込んで広めた。同じく、ヨーロッパへ行った人が広めた。それが、ラジオ→テレビ→ネット、他にも交通網が発達したりといったことでどんどん公開されてきた。

その当時は、恐らく、「質が高い」といえそうなものと「普通なもの」の区別がハッキリとついていたのではないでしょうか。それが、だんだんと一般化してきて、どこにも似たようなものがありふれてきた。

すると、これもまた、良いモノを追い求めてこそ、見る目が育ち、それを自分の一部として吸収し、自分の言葉で語れるようになる。と思うのです。

だから、有田焼をこの目で見に行き、焼物を見る目を養ってみたり、それぞれの土地の有名なお店に顔を出し、料亭にいき、雰囲気を感じ、京都に行く度に、有名・無名問わずあちこち見て周り、感覚を楽しむ。

小さな積み重ねだと思うんですよね。そうしていくことで、点と点で繋がっていたものが、平面となり、立体的になり、やがて、自分の体となる。ネット業界でビジネスをするにしても、もちろんネットだけが全てではない。全てが、一般化して見える世の中になってきていると思うから、自分なりの視点というものを大切にしたいと思います。

(と、ここまで書いて、何を当たり前の事を書いてるんだろうと気づきました・・自分に対する戒めエントリという事でお許し下さい)

ノウハウは手に入れられても、そのノウハウで運用した際に起こる「出来事」については、正直暗黙知にならざるを得ない、と思うからだ。その現場で起きる「出来事」は、ノウハウを公開した人の現場とは違う「出来事」であり、そこはノウハウだけで超えられない経験値が必要なのだ。

ネット業界が出来て、「たった10年」ではなくて、「もう、10年」。だから、今、東京に行かなければならないとも思っています。わずかながらも蓄えた知識や考えをぶつけて、挫折して、力を身につけたい。です。

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Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら [email protected]

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