言葉と知の共有

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言葉と知の共有

言葉と知の共有

コミュニケーションは存在していた。

言葉が存在したそれより遥か太古より。人間が、人間であったより遥か。

では、言葉がおりなすコミュニケーションとはいかなるものだろうか。

それは知の共有にほかならない。

そして、人間は、それが大好きだ。

人は、言葉により、会話をする。

会話というコミュニケーションを頻繁に行うという事象。

人は、愛し、悲しみ、憎しみ、感じる。

それぞれが、個の意識で動き、集合し、個でありながら、感情と、繋がり、離れる。

離れながら、繋がっている。

言葉を発しながら。

記憶に刻まれる、記憶というポケットに、いやという程詰め込み、それを共有する。

個の知を言葉にし、それを、文字にした。

文字は文章に形を変え、人間の言う、世界を駆け巡る。

人間だけが存在する、その世界で。

人が想像しうる全ての出来事は、起こりうる現実である。

とすれば、人が想像しえない全ての出来事は、起こり得ない。

言葉と知の共有によってもたらされるイノベーションは、組合せの違いにより、時代により、起こるもの。

人間とは、実に面白い事象である。

と、同時に、ひどく、虚しくなる時も在り。

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Tetsunori Yuasa

Tetsunori Yuasa

自己紹介: 1983年9月8日 福岡県生まれ・名古屋在住。住んだことがあるのは福岡・大阪・東京・ハノイ。すきなことは、たび / うたう / ねる / みる / よむこと。世界旅行記はこちら。フリーでお仕事のご依頼はこちら。連絡先はこちら t[email protected]

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