日々


25
12月 11

何者かになれるもの


アメリカのハリウッドはすごいらしい。ぶったまげるような規模で映画が生み出され、全世界でぶったまげるような売上を叩き出して行く。かれこれ何十年も前から、それも毎年毎年、私たちをたくさん楽しませてくれる。アメリカが世界に誇る一大産業だろう。

ところ変わって日本でも、かれこれ20年以上前から私たちを楽しませてくれているものがある。テレビゲームだ。「テレビゲーム」が生み出されてきた背景には、それはものすごい努力があったのだろうと思う。

私は小さい頃からファイナルファンタジー・シリーズが大好きなのだが、50時間くらいかけて「映画のような世界を自分で体験していく」そのストーリー性に魅かれていた。ファイナルファンタジーには各タイトル毎に「テーマ」が設定されていると、勝手に解釈してプレイしていた。例えば7は「環境」、8は「愛」、9は「命」といった具合に。

期末テストの前日に新作が発売された日にはもう大変だった。忍耐力の無い私はテスト勉強そっちのけで新作ゲームを夜通しプレイしたものだ(笑)余談だが私が一番好きだったのは「9」ジダンの世界。(無意味にエンディングを貼ってみる。ネタバレ要注意!)

話しがそれてしまった。各タイトルごとに、いろいろと書きたい事はあるのだが長くなるのでこの辺にしておこうと思う。「映画のような世界を自分で体験していく」という意味で、アメリカのハリウッドに近いものの一つとして「テレビゲーム」があるのではないだろうか。日本にも、かくも深い物語を生み出すチカラがあるのだ。

しかも最近の作品を見てみると、「映像」としてのクオリティも物凄く高い。下記のトレーラーなど、わざとゲームっぽくしているのかもしれないが、まるで実写のようだ。

テレビゲームなのか、映画なのか、もはや境目はあまり無くて、それはただコンテンツが作られる「文法」が違うだけなのではないか。もちろん、これらが小説やマンガになったっていい。ただ映画や小説・マンガなど、「用意されたものを読み進めて行く」のとちょっとだけ違うのは、自分で動かして自分で進んで行くというところだろうか。そういえば、登場人物に「名前がつけられる」という機能もいつの間にか当たり前につくようになっていた。

登場人物に自分の好きな「名前がつけられる」。自分の名前をつけるもよし、ヒロインに自分の好きな相手の名前を付けるもよし。これって実はすごく大切な事なんじゃないかと感じた。

 映画  : 用意された物語を第三者的に楽しむ
 ゲーム : 用意された物語の主人公が自分

機能的にはほんの少しの違い。ただ、楽しむ方はもしかすると全然違う受け取り方がされるのかもしれない。たった少しの事がもしかするとびっくりするくらいの「没入感」を生むのかもしれない。

当たり前なのだろうけれど、どんな時代においても「何者にも成れない人がほとんど」である。しかし、例えば50時間程度のゲームの中だけでも「自分の名前が付いた主人公が大冒険し、何事かを成す。」何者かを追体験できる物語があらかじめ用意されている。

 ・ 何者にもなれないが、何者かの追体験ができる。

最近、「怪盗ロワイヤル」や「ドラゴンコレクション」など、テレビゲームではなく「ソーシャルゲーム」が着実に人気を伸ばしているらしい。これらが人気になる背景として、多少なりとこれが関係しているのかもしれないと感じた。

 映画  : すごく面白い物語を見る
 ゲーム : すごく面白い物語の主人公が自分

ソーシャルゲームというのは、こういっちゃなんだが「あらかじめ用意されている」物語はそんなになくて、どちらかと言うと、誰かに手伝ってもらったり、誰かに教えてもらったり、誰かと協力したりする、だけれど、自分一人でもやっていける。この柔軟性に面白さがあるのかもしれない。

 ・ ソーシャルゲームは「物語をつくるのも自分(たち)」

ということなんだろうか。ここまで委ねつつも、それでもハマるものを作る。それはそれでまた物凄い試行錯誤の連続なんだろうけれど、仮に「物語を作るのも自分(たち)」という事が当てはまるのであれば、これはもしかすると、

 ・ 何者かになれるもの、それがソーシャルゲーム。

という事になるのだろうか。だとすると、人気が高まるのもうなずける。いろんなコンテンツがあって、それぞれ特徴のある「文法」で描かれていてそれぞれに面白い。と同時に、すごく消化しきれない面白いコンテンツたちに満たされているのも事実としてあると思う。

今でも十分に面白いソーシャルゲームはいくつもあると思うのだけれど、何十年かけて育ってきた「映画産業」や「テレビゲーム産業」のように、どんどん成長してクオリティが高くなって行く未来を想像すると、なんだかワクワクする。なんたって、ソーシャルゲームはまだ生まれて3年くらいなんだ。

誰かが用意した物語でもなく、物語そのものを自分たちでつくりあげる。既に満たされているが何者にもなれない時代に、何者かになれるものを。そう考えると、なんだか今という時代のニーズを的確に捉えているのではないだろうか。


10
12月 11

自分にとっての「日常」は、誰かにとっての「非日常」なのかもしれない。


ちょっと前に「Life in a day – 地球上のある1日の物語」を観た。世界中の人々が2010 年 7 月 24 日に過ごした一日をそれぞれ撮影し、YouTube に動画を投稿。投稿された 8 万本の動画は、4,500 時間を超え、ケヴィン・マクドナルド監督とその編集チームによって編集されたものだ。

先日発表されていたが、地球上には70億人の人間が暮らしているらしい。70億人分の1日=24時間を足し上げると、なんと1,680億時間にもなる。この膨大な「時」から考えると、4,500時間というのは、まだまだ少ないのかもしれない。

しかしこの4,500時間から編集されて出来た90分のムービーは大変貴重なものに思えた。

ベッドの中から連発される「グッモーニン」に始まり、髭を剃る若者、やけに片付いていない部屋を歩き回る男が妻に線香をあげている。たくさんのパンたちがチンと音を上げて焼き上がる。たくさんの「朝」がそこにはあった。荒野で火を焚いて作る朝ご飯、ヤギの乳搾り、普段私たちがテレビでしか見ないような「朝」もそこにはたくさんあった。

昼。ハンバーガーをもぐもぐとほうばりながらテコテコ歩く中年の男。歌を歌いながら小麦を叩く女たち、水牛を使って農作業する男たち。生まれてくる子豚、食用牛の頭を銃で打ち抜き首を切り落とす様、若い女の人が拳銃を手に取ってなにやら話している。ひざまずいて結婚指輪を差し出す男。書き出したらきりがないのでこのあたりでやめておく。

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自分にとって、違う世界に生きる人々の暮らしを見るのはとても興味深く楽しいものだった。これは編集されているものを観ているからなのかもしれないし、もしかすると編集されていなくても楽しいものかもしれない。

全く知らない、誰かの日常だ。言葉だってさっぱり分からない。はて、とても興味深いと感じたのはなんでだろう。自分にとっての繰り返す日々とは異なる、誰かの繰り返している日々は、すなわち、自分にとっての非日常だ。人は、自分とは異なる何かに興味を持つのだろう。

似たような事を繰り返す人々の集合体が、すなわち「国」なのかもしれないし、「文化」なのかもしれないが、そういった似た世界とは非なる世界が、この地球上には無数にあるという事をまざまざと見せつけてくれるのが本作だった。

自分にとっての「日常」は、誰かにとっての「非日常」なのかもしれない。そしてそれは、大変興味深いものになる可能性を秘めている。

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動いている画(動画)だから伝わる事もたくさんあるだろう。泣き声や叫び、息づかいや生活音もある。生々しい。そうか、生々しいのかもしれない。こういった「生々しさ」をあるテーマを持って集めてみると、すごく興味深いものができがるかもしれない。

例えば、国別/地域別に集めてランダムに見せるのもいいだろう。「朝」「昼」「夜」という情報を動画に持たせて、同じ日でもいいし全く異なる日でもいいのだけれど、たくさんの「日常」を60分くらいに自動編集して「ある1日」を作り上げるサービスがあっても面白そうだ。

日常と、非日常の世界の物語。他にもたくさん応用できそうなテーマなので、年末年始にでも考えてみるのはいかがだろうか。


23
8月 11

「預ける」という因子


結果的に「お金」まで「共有」する事をいかにアーキテクチャに組み込むか。という視点で大変興味深い実験がちょっと前に紹介されててテンション上がったので触発されて書いてみます。

『スタバのコーヒーがもらえる、あげられる!?』、ジョナサンさんのソーシャル実験が興味深い

自分のスターバックスのプリペイドカードを、そのまんまiPhoneアプリにして共有してしまいました、という実験。アプリをダウンロードして、残高があれば勝手にコーヒーを飲む事も出来るし、サイト上から入金する事も出来る。(調べてみたら、アメリカはサイトから入金できるっぽいけど、日本では残高照会しか出来ない模様)

残高に変更があったらTwitterに投稿される、という仕組みも面白い。

これ、仮にスターバックスじゃなくて、ファーストフードだったらどういう結果になるだろう?なんて想像してみたり、FacebookやTwitterとコネクトして、入金した人、使用した人が分かるような仕様にしても面白いと思うし、店舗側でどこまで対応出来るかは分からないけれど、使用した店舗まで分かったりしたら。。なんて、妄想が膨らみます。

これを使う時、人はどういう気持ちになるだろうとか、入金する人のモチベーションはどこにある?とか考える。電子マネーとはいえお金を「預ける」事で何かしらのきっかけを提供する事が出来るとして、それを通じて人と人が出会う事が出来たなら、どんな価値が提供出来るだろう。

スターバックスを「場」と捉えた時、そこには「空間」がある。この場合、「お金」を「預ける」事で、もしくは「使う」事で、その繋がりの中に身を置く事が出来る「カギ」になるかもしれない。

「預ける」という因子。

究極は、「お金」を「預ける」という事かもしれない。もちろん、ここで言う「預ける」場所は銀行ではない。どこかのコミュニティに「預ける」という衝動を、どのようにプロデュース出来るか。今回の実験を見ると、「スターバックス」と「iPhone」と「Twitter」がアーキテクチャに組み込まれている。それぞれに、意味がありそうだ。

ひよぷらさんの、「感情は取引されている」という名言がある。お金を「預ける」先に、感情を「預ける」先に、家を「預ける」先に、時間を「預ける」先に、車を「預ける」先に、本を「預ける」先に etc…

・・・預ける先には、何かがありそうだ。この実験、丸パクリでもなんでもいいから、めっちゃやってみたい。(なんでこんなに興味を持ったかについては、前のエントリ「急速にフラット化する世界」の後ろの方をご参照くださいませ。)


14
8月 11

急速にフラット化する世界


赤道直下の地域は相当暑いらしい。地球は、一番熱くなる赤道直下あたりを冷やすために「台風」を生み出して、少しでもその熱気が分散するようなシステムを働かせている。「熱気」というのは、地球でも、ビジネスでも、遊びにだってあるけれど、集中と分散を繰り返して行くんだろう。

「急速に」フラット化する世界、と書いたのは「アメリカのデフォルト(債務不履行)問題」の事を指して、その前後について書いてみる。

ここ最近の世界の関心事は、8月2日にアメリカがデフォルト(債務不履行)するのか、という事だった。結果的にそれは回避されたのだけれど、その回避の仕方を見ていると、「急速に」変わらざるを得ないのかもしれない。

アメリカがデフォルトを回避する為に取った施策は、「借金の上限を増やしましょう法案」を可決する事だった。その代わりに野党が要求したのが「財政改善(支出を減らしましょう)」という事。

借金の上限は増えた。しかし、これまで通りの借金を続けて行くと、1年〜遅くとも2年以内にまたデフォルトの危機が訪れる。というのは誰にでも分かる簡単な計算だった。そこで、「財政改善」というわけですね。

しかし「財政改善=支出削減」というのは何を意味するのか。リーマンショックに端を発した経済危機後、アメリカはどんどん国として支出をして、アメリカ経済を支えてきた。これを削減するのだから、当然景気は悪化する。支出削減と、景気悪化の悪循環のはじまり。そして次第に将棋で言うところの「詰み」の状態に近づいて行く。

世界は、「もしかしたら、アメリカがとんでもない奥の手を持っているかもしれない」と考えていたかもしれない。しかし、8月2日に出てきたデフォルト回避施策が上記であった。そして、その直後から強まる「世界同時株安」。(と、超円高)エコバブルでアメリカが持ち直す、というシナリオも考えられなくはないが、あと1年〜2年でそこまで持って行けるかは疑問も残る。

アメリカの没落が、目に見える形で始まった。今後考えられる最悪の事態は「ドルの大暴落」そして「ハイパーインフレ」。そんな今、日本はどうなっているだろう。

日本は、3.11の大地震と、大津波で大打撃を受けている。復興需要も考えられるが、それよりも、企業の動きが気になった。生産拠点を日本国内に集中させていると、何かが起こった際に製造出来なくなり、危機的状況に陥る。そこで、「海外に生産拠点を設ける」日本企業が増えている。

もしくは、「既に海外で生産されている商品をOEM提供」したりという事。これは震災とは関係ないかもしれないが、イオンは韓国で生産されたビールを国内でPBとして格安提供はじめる、という記事も最近出ていた。

要は、「日本企業は海外へ出て行き」、「海外製品を日本へ輸入する」という流れが出来始めているという事。これをシンプルに捉えると、雇用が減り、技術が漏洩する。という、これまた一昔前から問題視されている事が、より目に見える形で進んでいる。

中国はどうだろうか。既に世界の工場となった中国。今現在、中国が世界の工場である事は間違いない。しかし、ユニクロは既に生産拠点を「アフリカ」へシフトし始めている。ナイキはベトナムの生産拠点の方が中国よりも大きくなってきている。

つい、ここ10年、いや、5年以内の話しだ。中国が世界の工場になる、と言っていたのは。まさしく、「急速に」世界は動いている感じがする。2010年代は中国の時代かもしれないが、2020年代はきっと違う国の時代になるのだろう。

「国」の話しは一旦置いておいて、日本のとある産業について書いてみたいと思う。ゲーム業界だ。先日、任天堂が「ニンテンドー 3DS」を1万円も大幅に値下げするというニュースが出た。コナミの今年4−6月の家庭用ゲーム機の売上は約77億円だったらしいが、ソーシャルゲーム向けの売上は約78億円で、逆転したらしい。

一方で、非常に高い収益性で超急激な成長を遂げているGREEやDeNA(mobage)は国内でだいたい2,500万人〜3,000万人の登録ユーザーを抱え、積極的に世界に打って出ている。GREEはアメリカのOpenFeintを買収している為、世界のユーザーは約1億3千万人の届こうとしている。DeNA(mobage)は先日米AT&Tとの業務提携を発表していた。

家庭用ゲーム機というのは、参入するにも大きなハードルがあった。ハリウッド並みのコストを使って制作したタイトルでも大コケする可能性もある。遊ぶユーザーとしても、数千円するソフトを購入したけれど、思ったほどおもしろくてガッカリ。なんて事もよくある経験だろう。

そこで登場したのがソーシャルゲームというものだ。開発コストも、開発期間も短くてすむ。人気が出れば、どんどん機能追加して良いものに仕上げて行く事ができる。遊ぶユーザーとしても、最初は無料なのでとっつきやすい。面白いと思えば課金すればもっと自由度高く遊べる。

こういった点などで、ソーシャルゲームは急速に成長し、それがゆえに、急速に競争が激化していった。既にソーシャルゲームはレッドオーシャンである、という言葉まで出ているほどだ。これもまた、「急速に」変化している。

「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」などの超人気タイトルを持つスクエニはどうだろうか。強力な コンテンツを持つと強い。ストロングスタイルよろしくだが、しかしどうだろう。やたらと多い「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」のリメイク版がズラリと並び、ビックタイトルはと言えば、その続編だ。

「過去の資産」に支えられている、と第三者が適当に言ってみればその通りなのかもしれない。「過去の資産」に支えられている業界(企業)か、、それは他にもありそうだ。

たまに、「テレビはこれからどうなんるですか?」という質問を受ける事がある。答えから書くと、「相対的に影響力はだんだん低下していくだろう」という返事をしている。

一つは、先に記載したような、「日本企業が海外へ出て」、「海外製品が日本で売られる」というところもあるだろう。さらに少子高齢化で日本の市場が大きく変化している。スポンサーが付きにくくなる、もしくは、テレビCMの金額が下がれば下がるほど、クオリティの高い番組提供が難しくなる、という事もあるだろう。

一方で、テレビの視聴者からすれば、先に記載したようなゲームだったり、仕事をしたり、映画を見たり旅行したり、飲みに出かけたり、YouTubeで動画を見たりブログを読んだり。全ての人間には等しく1日24時間しか時間が無いなかで、面白い事は世の中にありあふれているからだ。相対的にテレビを見る時間が短くなる要素は多分にある。

逆に、時間が多いシニア層はよりテレビを見る時間が長くなっていく可能性はある。その傾向は、既にあるようだが。だとすると、テレビがいづれセグメントメディアになっていく、という事もあるかもしれない。

また既に、リーマンショック以降の広告差し控えが一番分かりやすいきっかけかもしれないが、一つの番組にかけられる予算が減少している、というのはよく聞く話しだ。その結果かどうかは知らないが、再放送番組が増え、お笑い芸人がネタを消費して行くバラエティ番組も増えている。これもまた、「過去の資産」に支えられていると言えなくもない。

ゲーム業界を変えた、ソーシャルゲーム業界だが、テレビ業界を変えるのが、ソーシャルテレビかどうかは知る由もないが、ニコニコ動画やUstreamなどのライブかつ、横のつながりの強いものもだんだんと熱を帯びている。そうなりえる可能性がゼロではないだろう。

ちなみに、ここまで書いてきたが、全ては自分の記憶によるものなので、正確な情報はちゃんと調べた方が良いかもしれない。すごく浅い部分しか切り取って書いていないが、広く捉えてみるというチャレンジをしてみた。

急速に、世界はフラット化している。

あまりにも熱い場所が出来ると、それを冷やす作用が起きて、また別の場所が熱を帯びる。それは遠い昔から繰り返されてきた「歴史」なのかもしれないけれど、そのスピードが異常に早まってきている、というのが現代社会の捉え方の一つなのかもしれない。

そんな現代社会を生き抜くヒントは、一昔前の「村社会」にあると考えている。しかも「現代版村社会」とでも言うもの。キーワードは「シェア」にある。難しく、先行き不透明、重苦しさも感じる空気感の中をハッピーに生き抜く術とでも言うかもしれない。

例えば、日本人の平均給料はバブル崩壊後「ずーっと下がり続けている」んだけれど、その中でも、今、もしくは今以上の生活をハッピーに送って行く方法、とでも書いてみる。

とてもシンプルな話しだ。例えば「衣食住」で、自分が「シェア」しても良いというものを考えてみるといい。「服」を誰かとシェアしても良いというお洒落さんが集う「服シェア型シェアハウス」。「食」の部分だけを誰かとシェア、楽しい食卓に変える「食シェア型シェアハウス」。「住」の例えば、風呂とかトイレだとかだけを誰かとシェアしてみる「シェアハウス」だったり。

「共同住宅」というとなんだかアレルギーを持つ人もいるかもしれない。けれど、一番分かりやすいのは、近所に住む人たちで楽しい食卓を囲むようにしませんか。と、少しアプローチを変えてみると、すごくお洒落で、かつローコスト(エコでもある)になる。

こういった、テーマ別の「住」というのは、これからのトレンドにもなると思うし、「シェア」する為には、物理的な距離は近い方がいい。ここまで書いてみると思い出すのが「サザエさん」だったり「ちびまる子ちゃん」の世界だ。

「サザエさん」だろうと、昔の家族構成だろと、思い返してみると、近所付き合いや家族付き合い、親戚付き合い、というものが、現代風に蘇るだけ。

家族と遠く離れて暮らす人も多いだろう。それを、いろんなテーマで「再編集」し、「再結集」、「シェア」出来る部分を見出して行く。軸となるのは、「共感」できる部分だったりするだろう。今よりもずっと低いコストで、今よりもずっとハッピーな暮らしが出来る。

フラット化だろうと、なんだろうと、変化は怖いかもしれない。でも、その「変化」を違った角度から見てみると、すごくハッピーな明日が待ってるかもね。


28
3月 11

Web系広告会社の関連領域で、ぽっかりと空いた巨大なホワイトスペース(市場)。


Web広告(代理店 or 制作)関連領域で、ぽっかりと空いた巨大なホワイトスペース(市場)があるんじゃないかと感じたのでメモです。

AISAS型や、SIPS型などがハマり、ゴリゴリWebに取り組んでいる企業さんではなくて、AIDMA型がハマる企業さんが、経営視点でWebにコミットする事で得られるインナー効果。

この領域が、ぽっかりと空いたホワイトスペースに感じるのです。

シンプルな話し、(改めて)Webサイトを本腰入れてガッツリ作る、という事に対して(改めて)コミットすると、企業や商品に込められた歴史や、特徴、機能、特記事項、コンセプト、アイデア、全ての広告、メッセージ、ストーリーを総ざらいにし、何を、どんな順番・導線で、どのように、魅せていくのか、という全てをデザイン(クリエーティブ/設計)する、超ストイックな作業で、企業さんの関係各部署を広く、どんどん巻き込みながらまとめ上げていく≪過程≫にこそ意味がある=インナー効果。

もちろん、短期的・中長期的な視点も加えて先々まで見通した情報構造設計も必要だし、短期的な目的の達成も必要だし、足元の売上にも繋がる事も考えないといけない。

しかし、この≪過程≫をうまくワークさせる事ができれば、インナー効果・将来性のある強い体質つくりが達成できる。ここに、価値を見いだせるのか、ということ。「Web」という切り口でアプローチした、企業コンサルティング業務と言い換える事が出来るかもしれない。言うのは簡単、ちゃんとワークさせるのは至難。

これをホワイトスペースとして捕まえる為には、2つのポイントがあると思う。一つは、すごく強めの言葉で書いてきた上記を、なんなくこなせるくらい高い視点・広い知見、みたいな筋肉モリモリな感じの人材育成。二つ目は、営業活動として、どうやったらその領域を獲得できるところまでたどり着けるのか、という道順。

※別にネット専業広告代理店だけが狙える市場というわけではないと思います。

ちなみに、上記に書いてきた事とはちょっと違うかもしれないけれど、既にこのホワイトスペースで莫大な利益を得た日本の企業もある。どこか具体的に書くのはあれなので、私のバックグラウンドから推察ください(笑)